以前住んでいた、北海道の北東部の町には児童養護施設があった。
それを知ったのは、不調の息子と乳飲み子の娘の対応が重なり、夫は1ヶ月もの間戻れない状態(遠方)で、実家は飛行機の距離の遠方で。
二進も三進もゆかず行政に相談したら「お母さん、どうしても無理だと感じたら、児童養護施設のお世話になりましょう!」と言われたからだ。
「一晩預かるなどの対応もできますよ!」
と言われ、門を叩くかかなり迷った。
乳飲み子の娘のためにほとんど眠れず、母乳のため全ての栄養を娘に取られ、尚且つ息子も保育園で何らかの不調を抱えていた際の出来事だと思う。
息子は入院一歩手前だったと記憶する。(未熟児で生まれ、3歳までに2度入院している)
結局、実母に相談し翌日の飛行機で飛んできてくれ、行かずに済んだわけだが。
(1日に一本の便しかなく、前日の息子の不調発覚の際はすでに飛行は終わっていた)
その養護施設の目の前には、北海道ではそこそこ有名なジェラート店があり、そこを大のお気に入りだった私達夫婦は週一程度で通っていた。
行くたびに、私は養護施設であそんでいる子供たちをみつめていた。
キャッチボールしている子供たち。
鉄棒している子供たち。
ブランコで遊ぶ子供たち。
私の実家付近には母子寮というのがあった。
母子のみの家族が住める場所で、親しかった友人がそこに居たのだ。
子供の折に途中まで入ったことがあるが(入寮に関して外部の人には制限がある)、なかなか楽しそうだったのを覚えている。
あそこみたいに、養護施設が生活をしている子供達にとって楽しい場所だといいな、と思ったりしていた。
辛いことはないかしら。
困っていたりしないかしら。
そんな目をしながら見つめていたと思う。
子供ができて、子供を見る目が変わった自覚がある。
全ての子供が、自分の子供のように思えるようになっていた。
一種のマザーハイのようなもののようにも感じるが、今でもなぜあんな郊外にあるのかと疑問に思うこともある。(土地が安いなどの理由かな)
もしくは、私自身がこれまで自分とは関係のない場所だと意図的に見てこなかったというのもあるかもしれない。
一部の大人が見えないように配置したのかな、という黒い気持ちが持ち上がったりもする。
ただ、色々言われることもあるだろうから、ひっそりとある方が良いのかな、とも思ったり。
もし、一度も行ったことがないというのなら一度意識してみに行ってみて欲しい。
こんなにも、親のいない子がいるのか、と。
心のどこかに寂しい風が吹くことは間違いない。
今戦争をしている。親のない子供がどんどん増えているだろう。
子供たちをどうすれば保護できるのか。
夫を亡くし、家もなくし、親族も亡くし、子供を抱えて逃げ延びれる母はどれだけいるのか。
世界のどこかに戦争をしていない地域で保護できるような場所は存在しないのだろうか。
そんなことを夜中に考えている。